今日、結構ショッキングな文章を見ました。
私は小学校の講師をしていますが、以前関わった子どもの話でした。
研究会の資料で、いろいろと困難を抱えるその子への支援と変化の様子をまとめた実践記録でした。
学校や先生方の悩みや奮闘はもちろん大変だったでしょうが、読みながら涙が止まりませんでした。
その実践に感動したからではありません。
中学校へ行ってからの彼の戸惑い、寂しさ、恐怖で苦しんだであろう姿が浮かんでくるからです。
もちろん希望の持てる事件も綴ってはありました。つらいだけではなかった、という安堵もありました。
でも。活字になったものって・・・耳で聞いたことよりも胸に突き刺さる気がします。
本人のこと、家庭のこと、もちろん書かれている事にウソはないのでしょうが、文章になったものを読むととてもきつく感じます。偏っている気さえします。
また、入学してからの印象、観察していて気づいた事、新しく出てきた困難等も書かれていましたが、私が読む限り、ほとんどの事は小学校のときからわかっていたことでした。
もちろん中学に送るにあたって、気になる点は申し送りしてあるはずですが、思っている事を伝えるのは難しいですね。小学校はもう卒業しているから、とか中学校の管轄だから、とか分けるのではなく、もっと話をする機会があったら・・・と悔やまれます。
とは言え、申し送りをするのは明らかに個人情報ですし、先入観はよくない、との考えもあります。
ホント連携って難しいですね。
でも。
よりよい生活をしてほしい、と願う気持ちは現在関わっている方も送り出した方も同じですよね。
卒業生のことはいつまでたっても気にかかります。
だから。協力できることは何でもしたいと思うのですが。
何ができるのでしょう。
今つらい思いを抱えている子たちが、少しでも笑顔を取り戻せますように。
うちの息子も少し前まではそういう支援が必要なんじゃないかと真剣に悩んでいた時期があったので、こういう話を聞くと気になります。
返信削除成長と共に今では支援が必要な訳ではなさそうなのが分かってきたため、直接の関わりはありませんが、学校側も対応がたいへんなのですね。
「支援しますよ」と一言で言っても、先生同士で捉え方が違ったり、学校側との違いもあったり…。
でも先生が皆、その子のことを考えてくださっていると信じたいですね。
>らめるこ様
返信削除「支援」と聞くと「障害」と連想してしまうのが、悲しいけれど社会だと思います。
一口に「発達障害」と言っても表面に現れる困難は人それぞれ、そもそも「障害」という認識が間違っています。ただの「発達の偏り」です。
得意な分野もあれば苦手な分野もある。
程度の差こそあれ、すべて「個性」と言い表せるものです。
ただ。
周りとうまくかみ合わない、理解してもらいにくい、同じようなペースでこなすことができない、という偏りが、集団生活を困難にしている場合、本人にとっても関わっている人たちにとってもつらいですよね。
だからその子に合った「支援」で生活しやすくできれば。みんなが笑顔になれるはずなのです。
他の子と「区別」するための「支援」では決してありません。
必要なのは「理解」です。
・・・とこの手の話はしだしたら止まらないので、またそのうちに書こうと思います。